梅雨のイライラ?

曇り 本格的に梅雨に入った。 コロナ騒動もぶり返す気配で憂鬱。

庭の花をアップ。

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一昨年から、ハイキングコースの安全対策を県庁に求めているが、もし、人身事故が発生すると、コース占有者である行政が責任を被ることは明確ながらさっぱり動かずに、トレイルランナー側のマナーで済まそうとしている。

        記

県スポーツ局担当部長 ほか各位へ
 突然降って沸いたようなコロナ騒動も第1波がようやく治まりましたが、再来第2波が心配されます。

 ウイルスの出現は天災でありますが、その蔓延は人災そのものです。
 過去に於いても、インフルエンザ等多くの被災がありましたが、こんな世界的流行は久し振りです。
「人類は万物の霊長」と驕ってみても、その対応は犬猫にも劣る馬脚を現わしました。
 これを謙虚に受け止め、「マナー=道徳」のあり様の愚見を申し上げます。
 そもそも人間を含め、全生物はその出生時にはマナーは一切持たず、自己中一杯で誕生します。つまり、生存本能の塊です。
 その状態から、マナーを身に付けるのは、両親や教師等から受ける後天的教育であります。
 従って、マナーが伝承されるか否かは、周りの大人次第です。
 幸いなことに、人間社会では紀元前、奇跡的に表われた聖人によってマナーの方向性が成立しました。
 その具体例が、ユダヤキリスト教のモーゼ、儒教孔子、仏教の釈迦等が説いた聖典にあります。
 その教えで共通しているのは、「汝殺すなかれ」「不殺生戒」であって、人間特有の戒律です。
 しかし、残念なことに、それらの教えが時間と共に薄れて行って、わが国では先の大戦で学校の道徳教育も消滅しました。
 つまり、昭和初期年代以後誕生の国民は、聖典に基づいた道徳を身に付けていないので、原始時代の自己中が戻っているのは、当然の流れであります。
 仏典によれば、この現象を「末法」と言い、1万年続いたのち「滅法」となって原始時代に舞い戻るとのことです。
 この現象は、単なるお伽話ではありません。これをマナー条例に当て嵌めて見れば、その前兆が明らかになります。
 身近な例で、湘南各地に海水浴場のマナー条例がありますが、昨今のコロナ騒動で改訂を余儀なくなり、警備員の配置をしななければならない状況になりました。
 人命尊重を思い返せば、往年のダッカ人質事件で、時の福田総理が「人の命は地球より重い」と超法規的に職位を投げ出して身代金を支払って解決しました。
 これが、聖人の教えを遂行した手本で、全国民から支持された歴史があります。

 以上、ザックバランにマナー=道徳の行方を吐露しましたが、懸案のハイキングコースの安全・安心の確保は、消え往くマナーだけでは到底達成できないことをご認識頂きたく存じます。
 ましてや、「まだ事故事件は起きていない」=(座して死を待つ)と公言した公務管理職員が出現したことは論外、職務放棄であります。
 幾度も言いますが、マナーだけでは決して事件・事故の発生を防ぐことは出来ず、「転ばぬ先の杖」物理的に安全・安心を確保する施策を採られます様関係各位に願っております。それが「末法時代」を生き抜く道でありましょう。

「義を見てせざるは勇無きなり」(論語
「火中の栗を拾う」(ラ‐フォンテーヌの寓話)
「雀の子 そこ退けそこ退け おん馬が通る」(一休禅師)
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」(伝親鸞

                 ハイキングクリーン相談役 南 保
   
追伸 赤石花火事件。群衆通行安全管理の瑕疵による人身事故の裁判判例・結審。
          (弁護士示唆)